行雲流水の如くに

北海道で気ままに暮らしています

外国人排斥は日本人の余裕のなさを現わしている

欧米流の文化は、「本当の自分に出会え」とか「自己を確立せよ」である。

自分の考えをきっちり述べることが出来ない人間は評価されない。

ところが日本では、程度問題だと思うが、余りに自己主張の強い人間は逆に評価されない。

協調性のある人間が評価され(空気を読むことに長けた)、責任の取り方もうやむやで済まそうとする。

太平洋戦争開戦の時が、良い例だ。

誰が決めたか分からないうちにそのような流れ(開戦)になっていた。

リーダーにしてみたらなんとも都合の良い国だ。

 

ただもう少し深く考えると、日本人は「己を捨てること」にこだわらない。

親鸞におきては、

「ただ念仏して弥陀に助けられまいらすべし」と、よき人(法然)の仰せを被りて信ずるほかに、別の子細なきなり。

法然上人の教えを信ずるほかに何もない、ときわめて明快である。

しかし考えようによってはこれこそ「自己を確立している」といえなくもないのだが、ここまで深くは誰も考えない。

 

最近の外国人排斥の流れを見ていると、日本人には外国人を受け入れる社会的成熟度がないと言わざるを得ない。

既に370万人弱の外国人在留者がいる。

彼らと実際に会話(それもある程度の内容のある話)をしたことがないまま、空気に流されている。あるとしても概して上から目線だ。

まず最初にあるべきは、他者を受け入れて共生するという思いが必要なのだ。

現実に地方の1次産業(農業や漁業)は彼らの存在なしには回らない。

政党やそのリーダーが言うからと安易に流されるべきではあるまい。

しっかりと現実を見て事実を確認の上、判断すべきだ。

 

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